アナログにっき。

自分らしく自由に生きる専業主婦。2人暮らし。考えることと書くことが好き。

万人受けはしなくていい

 

自分でもなんでかよくわからなかったのですが、わたしは物心がついた時から世の中に怖いものがいっぱいありました。中でも特に怖いのが人でした。

加えて、「この道は通りたくない」とか、「この素材の服は着たくない」というこだわりがあって、日々感じる不安やストレスが多くて、それでよく癇癪やパニックを起こして泣いていました。

だけど、泣いている時に誰かが側にいて慰めてもらえた記憶はなくて、というのは、わたしがつらく感じていたことは全て目に見えないもので、プラス、周りの大人はとても忙しい人たちでした。

正式な病名があるわけではないグレーゾーンにいる自分のことを理解できる人はいなかったし、理解しようとするための時間はなかったと思います。

それからずっと、心のどこかにぽかんと空いている部分があるのを感じていました。

 

成長するにつれて、家族や友達から顔や体のことや内向的な性格のことをどうこう指摘されることが増えていきました。

自尊心が低かったわたしは何を言われても「わたしもそう思う」と思っていた部分があったので、何も言い返すことができず、自分の中の何かが限界に近づいているのを感じていました。

中学1年生の時のある出来事がきっかけで、パンパンに溜まっていた涙の袋みたいなものがパーンと弾けた気がして、そこから摂食障害の症状が出始めました。

食べることが怖くて怖くて仕方なくなり、どんどん痩せていき、と同時に、変にハイテンションな自分になっていきました。いつもニコニコ笑って明るくて活発な女子中学生を演じてみたり、逆に、とても攻撃的な言動で自分を守るようにもなっていきました。

周りからは、もうキツイ言葉をかけられることはなくなりました。

派手な友達が増えて、好意を持ってくれる男の子も出てきました。

だけど、どんなにみんなからよく思われても、わたし自身は自分を好きになることはありませんでした。

前みたいに自尊心を傷つけられることは無くなったのに、どんなにたくさんの人から好かれても、空いている部分が満たされる感覚はありませんでした。

 

その時、ハッキリとわかりました。

わたしにとっての幸せは、万人受けする自分になってたくさんの人から愛情をもらうことではないのだということ。それじゃ、空いている部分は埋まらないんだってこと。

空いている部分は、わたしがわたしのまま、自分らしく生きられない限りは埋まらないし、その自分のまるごとを愛してくれる人からの愛情でないと、満たされないんだということでした。

そう気づいてからも、わたしの心はわたしの意思とは別で生きていて、「さみしいよー」と叫んでいて、その心に振り回されるように、拒食と過食の症状に葛藤する日々でした。 

 

病気が完全に大丈夫になってから約2年、今のわたしはというと、全然万人受けはしません( ・ω・ )

なのに、心は常に満たされているんですよね。

そのいちばんの理由は、おそらく、自分が自分のことを誰よりも先に好きになれたからだと思います。

ずっと自分なんて大嫌いで、周りから愛される違う誰かになりたいと常に思っていたけど、病気になったことがきっかけで、もうそれには見切りをつけてやめました。そして、「自分自身であること」を始めました。「周りの人が何を求めているか」ではなく、「自分がどうありたいか」を基準に、話したり行動したりを積み重ねていきました。

自由に着たい服を着て、やりたいことをやって、言いたいことを口に出していると、雑誌やテレビの中にいる女の人からは、かけ離れていきました。

たまに疎外感というか寂しい気持ちを感じたりもしたけど、どんなに周りから否定的な言葉をかけられたとしても、「そっか、あなたはそう思うんだね〜、でもわたしはわたしが好きなんですよ〜」と言えるようになると、少しずつ、自分のことを誇りに思えるようになっていきました。

本当に少しずつですが、自分の存在が愛おしくなっていきました。

 

自分が自分のことを好きになって、自分を持って生きていたら、今度はその自分の全体を愛してくれる人が現れました。

中学生のわたしは、どんなにたくさんの人から好かれてもいつも孤独だったのに、今のわたしは自分からの愛情と、たった一人の人からの愛情で、どんなことにもまずは自分一人の力で取り組んでみたいと思えるほど、心が満たされています。

きっと、中学生のわたしもずっと心のどこかでわかっていたんですよね。

たった一人、自分の全てを認めてくれる人がいれば、それで満たされるってこと。そのたった一人の人が欲しかっただけなんだよなぁって、そう思います。

 

 

わたしは個人的に、無理してまで人に好かれようとするのは、本当は誰にとっても必要のないことだと思います。

もちろん、ある程度は他の人たちのことを気にかける必要はあると思うし、配慮する必要もあると思います。だけど、そこに無理が入ってしまったら、それは軸が他の誰かになってしまっていて、つらい生き方になってしまうと思います。

 

 

 

彼と一緒に暮らし始めて早いもので1年が経ち、先月、家族になりました。

わたしにとって、生まれて初めてできた「心の家族」でした。

正直わたしは、心に居座っているインナーチャイルドが安心感からか出てくるようになり、しょっちゅう泣いたりわめいたり癇癪をおこしたりしてしまうし、こだわりが強いのは相変わらずだし、端から見たら面倒くさい奥さんです。

だから、周りがなんと言おうと気に留めないで、逃げないで、真正面から「どうしたの?話し合おう」と向き合ってくれる彼は、つくづく根性据わってる人だなと思います。

わたしも彼のカッコいい部分にはあんまり興味がなくて、普段は見せない裏の顔とか、人間らしい泥臭さとか、そういう奥の奥の方にたまらなく愛情を感じます。  

そういう汚くてぐちゃぐちゃな部分までちゃんと見せ合えるこの関係は、ずっと偽りの自分でいないと愛情を感じられなかったわたしにとって、何にも変えられない、何よりの幸福なのです。